平野綾騒動を見て考えた「エロゲ声優がエロくない理由」
ふたばに書いた文章だけど
エロゲ声優が台頭してきたことによって、それ以外は清純派売りが約束されるんだと思うね
つまり、エロはアングラであり非日常の世界であって
ストリップや乱交パーティーと同列の「全て演技である」世界の住人だから
その時、エロゲ声優は要するに「女という着ぐるみを着た人」であるといえる気がする
その実態的想像はラジオやブログを見てますます強く結び付けられる
一方、日常の世界を生きる声優達は逆説的に「人という着ぐるみを着た女」であると判子が押されてしまうわけだよ
同時にこれも実態に及ぶ想像力が働き、ラジオ・ブログ等を見聞きするたびにますます強く結ばれる
言い直せば、その唯物的想像力の実在が「女的な人」か「人的な女」かを対照的にとらえ。
「女的な人」、要するにエロゲ声優に対しては「ああ、エロゲとかに出てても根はマトモだな」と思い
「人的な女」は女であるがゆえに、また、日常を生きるゆえにエロ妄想、あるいは信仰へと発展するわけだ